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慈城紹介

慈城は東海の浜、姚江の畔に位置し、中国の歴史文化上有名な町であり、慈と孝文化の郷でもある。『史記』によると、「周の元王三年(紀元前473年)、越国の王勾践の城―勾余」とあり、これが慈城最古の名称であったが、後に「句章」と改称された。唐の開元26年になると、慈溪県制が設置され、県名にちなんで慈城と名づけられた。2400年あまりの歴史を経て、慈城は濃厚な文化性を蓄積し、特に古県衙、孔廟、校士館、清道観、城隍廟、甲第世家、符卿第などを代表とした古建築が代表的で、城内では官宦住宅、祠堂牌坊、学宮書院と古風な壁、窓がよく保存されて、約5千平米エリア内に国家級、省級、市級、区級と四レベルの重点文物保護単位が33軒もあり、数多の文化古跡と豊富な歴史遺跡を有している。さらに2006年では、「慈城古建築群」が全国重点文物保護単位と列せられた。また、慈城は良き人材を育み、古来より文化学者、名人が輩出し、唐宋から明清にかけて、慈城あたりから進士が519名も生まれ、かねてから「鼎甲相望、進士輩出、挙人比肩、秀才盈城(国家試験三位以内の人々が見つめあい、進士が輩出し、挙人が肩を並べ、秀才は城内の所々に見られる)」という誉があった。近代、現代に至っては、周信芳、秦潤卿、応昌期、談家禎、馮驥才など多くの名人がここで生まれ育った。

慈城古県城の文化価値は、その悠久な人文歴史だけでなく、秀麗な風貌にも現している。城全体の山水は美を作り出し、うちでも五磊山、太宗山など山脈は「九龍戯珠、四霊囲合(九匹の龍が宝珠を戯れ、霊獣たる四霊がお互いを囲み合う)」との素朴な形を織りだし、姚江、城河など河川は「四水帰堂」の水流体系を構成している。城エリアは蒼穹を仰ぎ、城下エリアは坤地の利を得る。その清麗幽玄な生態環境は、古人の「天人合一、人傑地霊」の居住環境を求める願望が凝縮されている。

千年の歴史の重みを体現し、その濃厚で久遠の儒風を肌で感じられる水郷情緒こそ、千年慈城―「江南一古県城」なり!